今話題の人的資本の情報開示。人材を「人的資本」、投じる資金を「価値創造に向けた投資」と捉える素晴らしい考え方ですが、人事や経営者の方から「数値可視化後に何をしたら良いかイメージが難しい」という声をお聞きします。今回は、「EVP(社員が共感できるその企業で働く価値)」を足掛かりに、自分達らしく活き活きと人が躍動する組織を創るために何をすれば良いのかということについて、いくつかの視点からお話した講演の模様をレポートします。
~『日本の人事部』HRカンファレンス2022-春-講演レポートより転載~
講演者紹介
(株)日本交通公社(現JTB)に入社。海外旅行を中心に、法人の様々な課題を解決するツアー・イベント等を企画。その後、グループの福利厚生会社、JTBベネフィットで17年勤務、営業企画~取締役企画開発本部長等を経て、現職。JTBグループのEVP(HR)事業戦略推進・マーケティング・販売促進等を担当。
㈱資生堂入社。厚生労働省に出向し女性活躍推進の政策運営に従事。㈱JTBコミュニケーションデザインではモチベーションを軸に多様な組織の組織開発・人財育成を支援。ITベンチャーの組織立上げ、事業責任者、医療法人グループの人事部長を経て現職。人と組織の可能性を拡げる共創型のコンサルティングに取り組んでいる。
人事を取り巻く環境が変化し、人的資本の情報開示への注目度がアップ
EVP(Employee Value Proposition)とは、「従業員が実感できる、その企業で働く価値」のことです。JTBグループではEVP経営・組織活性を支援するための様々なサービス・ソリューションを提供しています。
例を挙げると、JTBコミュニケーションデザインでは、25年以上、様々な組織で働く人のモチベーションを支援してきたノウハウを活かして、「WILL CANVAS」を開発しました。これは従業員意識調査をベースにデータ分析に基づいたコンサルティングを行い、組織の改善、評価などの業務を支援するコンサルティング型のHRテクノロジーサービスです。組織の状態を可視化・数値化したうえで課題分析を行い、解決に向けた具体的な施策を提案しています。他にも、JTBが長年にわたり旅行業で培った顧客へのホスピタリティに関するノウハウの提供によって、記憶に残る好感・感動の顧客対応力を身につける支援なども行っています。
講演ではまず、上山が人事に関するここ数年のトピックについて解説しました。
- JTB 上山
- 「2019年4月に働き方改革が義務化され、労働生産性の向上への取り組みがスタートしました。しかし、2020年2月頃にCOVID-19の流行で働き方が変わり、在宅勤務が増加。自分を見つめ直す機会が生じました。その後は、ニューノーマルといった考え方が生まれて今に至ります」
東京都産業労働局によれば、テレワークの普及率は東京で約60%、300人以上の企業では約80%に達しています。テレワークのメリットは大きいものの、そこには問題もあります。
- JTB 上山
- 「テレワークには、コミュニケーション不足を生み、エンゲージメントへ悪影響を与え、メンタル不調者や離職者を増加させている側面もあると考えられます。そうした中、最近注目されているのが人的資本という考え方と、その開示の義務化です」
ここで木村氏が登壇し、人的資本について解説しました。
- 木村氏
- 「これまで企業は、人材を人的資源(Human Resource)として捉えてきました。資源は有限なものなので、すでにあるものをいかに効率よく使うかという考え方になり、マネジメントは『いかにうまく管理するか』という方向性になります。それに対して、人的資本(Human Capital)は、人財を新たな価値を生むもの、また教育などの投資によって価値が拡大する可能性があるものと捉える考える方です。マネジメントは『いかに人財を成長させ、価値創造を引き起こすか』という方向性になります」
企業が保有する資本にはヒト、モノ、カネがありますが、「ヒト=人的資本」は「知的資本、社会・関係性資本、製造資本、自然資本」を生み出し、その結果「財務資本」を生み出します。
- 木村氏
- 「すべての資本を生み出す価値創造のはじまりは『ヒト』であり、人的資本は最も不確実性が高く、最も化ける可能性があるものといえます」
ではなぜ今、人的資本に注目が集まっているのでしょうか。その要因の1つは投資家の注目度が高まっているからです。
- 木村氏
- 「時価総額に占める無形資産の割合はアメリカが90%に対して日本では30%台ですが、この比率は徐々に高まっています。また、いま投資家が最も着目する情報はIT投資や研究開発投資をおさえて人材投資であるというデータもあります(厚生労働省「人材版伊藤レポート」)」
このような流れを受けて、アメリカでは米国証券取引委員会(SEC)が、2020年8月人的資本の情報開示を義務化しました。それを追う形で日本でも人的資本の情報開示が経済産業省、内閣官房、金融庁などで議論されています。では、具体的にどんな項目の開示が義務化されるのでしょうか。
- 木村氏
- 「米国でもまだ項目は規定されていません。今注目されている指標はISO30414です。11項目、58指標があり、この中には対外的、対内的な公表を推奨する項目があります。この中でどの項目が重要かというのは企業毎に異なりますが、大きなトレンドとしては、コーポレートガバナンス・コードが改定され、『中核人材における多様性の確保についての考え方と自主的かつ測定可能な目標の提示』といった文言が盛り込まれたことにより、ダイバーシティ(マネジメント層における多様性がどれだけ進んでいるか)は一層注目されるのではないかと考えられます」
では企業側ではどれくらい情報開示の準備が進んでいるのかというと、リクルートの調査では主要11領域の人的資本情報に関して、「測定しており、情報は社内および社外に開示・報告している」企業は14.9%しかなく、まだほんの一部であることがわかります。
人的資本開示において何を準備すべきなのでしょうか。木村氏は「開示の目的を明確にすることが重要」と語ります。
- 木村氏
- 「人的資本に関する情報には二種類あります。一つ目は定量情報であり、数値化して報告できる項目(異なる企業でも共通する内容)です。これが、開示が義務化される情報です。そしてもう一つは、その企業がどこを目指していて、この数値にはどんな意味があるのかを伝える必ずしも数値化はできない定性的な情報(企業毎に異なる独自の内容)であり、ここが他社と差別化した自社ならではの魅力をアピールするためのポイントになると考えています。二つ目のメッセージを明確に訴求することが、人的資本情報の開示によって企業の魅力を高めるために重要です。
投資家や未来の社員、また今社内にいる社員にしっかりと自社の魅力を訴求するためには、まず自社の目指す姿(『企業のビジョン』を実現するための理想的な組織・人財の姿をあらわした『組織・人財に関するビジョン』)を明確に伝え、それに対して『今何合目まで来ているか』の進捗を確認する指標として一つ目の定量情報を説明する、という順番が大切です。一つ目の定量情報は測定しやすいため数値を上げることが目的になってしまいがちですが、あくまで「目指す姿を実現するための手段である」ということを意識しないと、社内外に自社の魅力が正しく伝わらない恐れがあるだけでなく、取組の優先順位が分からなくなってしまったり、その結果現場の人財(人的資本)が疲弊してしまう恐れがあります」
次に木村氏は定量情報と定性情報をうまく組み合わせて企業の目指す方向性や魅力を訴求している事例として双日の事例を紹介しました。
- 木村氏
- 「人的資本情報の開示を通じて社員のエンゲージメントを高めるためには、目指す姿が社員の気持ちを置き去りにした絵になっていないか、あらゆる部門・階層で行われる意思決定に反映されているか、最前線の社員まで熱量をもって伝わっているかなど、従業員がどのような体験をしているかという視点をもった経営、EVP経営の考え方が必要です」
EVP経営のすすめ:インナーおよびアウターブランディングにつなげる
ここからは上山がEVP経営について解説しました。EVP(Employee Value Proposition)は、社員が共感できるその企業で働く価値の提案を指します。
- JTB 上山
- 「EVPは、人を経営に必要な資本とし『投資するもの』と考えることを、マッキンゼー&カンパニーが提唱したのが始まりです。EVPとは、社員がその企業にいる間に経験し、受け取るすべてを統合したものといえます。そこで社員は『人財(タレント)』として、企業が積極的かつ戦略的に獲得や育成を行うべき対象となります」
具体的には企業は「熱意を持って取り組める仕事」「一流の企業文化、一流のリーダーたち」「優秀な同僚や職場の仲間」「自身の業績に見合う報酬」「自身の成長と能力開発」「仕事と私生活のバランス」といったものを、社員に提供しなければなりません。
ではEVPを体現した理想の姿とはどんなものなのでしょうか。「会社・事業の社会的存在意義(パーパス)」「会社(自律した人財の集合体)」「自律した人財(会社は体験・経験を提案)」の三角形が「共感」で繋がっている姿です。
- JTB 上山
- 「エンゲージメントとよく似ていますが違いは、EVPは社員のエンゲージメントに『Employee Experience=社員の体験・経験』が加わったものということです。」
EVP経営とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。上山は次のように語りました。
- JTB 上山
- 「企業は『会社ビジョン』『風土』『労働環境』『各種制度』『人材活用』といったものを社員に提供します。こうした活動を通じてインナーブランディング活動を行い、同時に外にも発信し、アウターブランディング活動を行います。それによって、社内外から『志の高い、ワクワクする会社』と認めてもらえるようになる。この点が重要です」
EVP推進のメリットをまとめると次のようになります。「社員のエンゲージメントが高まる」「自律型人財が増える」ことで生産性・イノベーションを生み出す力の向上につながります。そして、「ビジョンや人的資本情報の開示」によってブランディングや企業価値(時価総額)向上が図れます。ビジョンに共感した人が集まることで、効果的な採用活動ができ、定着率が向上します。
EVP経営実践のポイント:サーベイの効果的活用法とは
約6割の企業はサーベイを行って自社の姿を把握しようとしていますが、ほとんどの企業が実施後に「結果のフィードバックが難しい」「フィードバック後の具体的活動が難しい」といった課題を抱えています。
- JTB 上山
- 「サーベイは結果をいかに活用するかが重要であり、活用しないのなら時間のムダになってしまいます。」
ではどのように活用すればいいのでしょうか。木村氏が効果的なサーベイ活用の四つのステップについて解説しました。
ステップ00理想の状態(組織ビジョンの細目)を描く
「まず、ゴールを描くことからはじめます。サーベイは「ゴールにたどり着きやすくするためのツール」なので、どこに向かうかが定まっていなければ、結果を効果的に活用することは難しいでしょう。『企業ビジョン・理念を実現するためには、どのような組織風土、人財活用方針、人事制度、労働環境の組織でありたいか?』について考え『組織ビジョン』を描きます。大変ですが、『自分たちで』考えることが重要です。安易に他社のフレームに乗ってしまうと、自分達の魅力を活かす方向性とは違うゴールを目指すことになりかねません。このプロセスが最も重要です」
ステップ01現状を把握する
「組織ビジョンが社員にどのように認識されているか、どこが乖離しているかを客観的に把握します。ポイントは表層的な事象ではなく、解決策が見出せる根本課題を見つけられるように設問設計を行うことです。仮説をもったうえで設問設計をする必要があります」
ステップ02可視化された現状を踏まえ、各項目のKGI・KPIを設定する
「組織ビジョンが達成された状態を思い描きながら、ビジョンという抽象的なものを測定可能なKGI・KPIに落とし込みます。『ビジョン、組織風土、人材活用、人事制度、労働環境』という五つのフレームで整理していくと考えやすいでしょう」
ステップ03KGI・KPIを達成し得る施策を実施する
「最後に、KGI・KPIを達成し、その先に組織ビジョン実現につながる具体的な施策を実施し、変化を起こします」
「これまでのサーベイは過去のある時点での定量情報を可視化するためのものでしたが、これから求められるのは『組織の未来を描くためのサーベイ』です」と木村氏は語ります。
- 木村氏
- 「経営者や人事が社員と一緒に組織の未来(組織ビジョン)を描き、進捗を確認し、アップデートしていきます。そのためのツールとしてサーベイを活用し、こうした活動自体を社内外に発信していくことで、その企業ならではの魅力が認知され、企業価値の向上につながっていきます」
EVP経営の事例紹介:具体的な実践方法を探る
次に木村氏から、EVP経営の2社の事例が紹介されました。
01不動産会社の事例
急激な業容拡大のスピードに人財育成が追いつかず、「ハラスメントが起きている/離職者が多い/次期管理職候補が育たない」といった問題が発生。顕在化していた「管理職層のマネジメントスキル不足」という課題に対して、管理職研修を実施していたにもかかわらず、状況は変わらなかった。
「この会社の理想の状態を確認したところ、みんなが共感できる企業ビジョンはあるが、実現するためにはどんな組織であるべきかは具体的なイメージがわきづらい状態にありました。そこで五つのフレームに沿って理想の状態を言語化し、現状と比較してみたところ、『人材活用、人事制度に問題がありそう』という仮設が立てられました。そのうえで解決策を見出せるような設問設計を行い、サーベイを実施。結果、仮説通り、人材活用と人事制度に問題があり、「そもそも管理職がメンバーの人財育成を重視していなかったこと」がわかりました。また、社内には課題を認識しているが声に出せない管理職がいることもわかりました。
「「組織ビジョン」を体現する組織になるためにはどのような方法で課題を解決するべきか考えた結果、規則で縛るのではなく、率先垂範できる人を要職に就けること、管理職登用基準や評価制度など人事制度を見直すこと、管理職研修の内容を見直すこと等を通じて、会社から「あるべき姿」のメッセージを明確に打ち出すことで組織風土を変えるアプローチにしようと決め、一気に取り組みました。その後、管理職の意識が変わり部下の話をよくするようになった、ハラスメントや離職者も減少したと伺っています」
02重電メーカーの事例
マーケットに恵まれ事業は順調に伸びているが、保守的な風土で、組織が縦割りで部分最適の視点に陥りやすく「コンプライアンス違反/ダイバーシティが進まない」といった課題があった。「社員のオーナーシップ不足」という課題が顕在化していたが、有効な打ち手が見つからない状態だった。
「この会社には企業ビジョンはありましたが、組織ビジョンは設定されていませんでした。そこで五つのフレームに沿って理想の状態を言語化し、現状と比較してみたところ、『ビジョン、組織風土、人材活用に問題がありそう』という仮説がみえてきました。サーベイを実施してみると、仮設通り、ビジョンが十分に浸透できておらず、社員が「前例踏襲し無難に対応する人の方が高く評価される」と感じていることが根本的な課題であることがわかりました。また、経営者が自分と同じ視点を持っていると思っていたマネジャーも、実は社員と同様のことを感じていたということが明らかになりました。
そこで、経営層が自らの言葉でビジョンを伝え、十分に伝わっていない現状とそこに対する課題意識、今後行っていきたい取り組みをマネジャーたちに語る場をつくりました。そしてその場にいたマネジャーたちが各現場の社員に直接語ることで、全社に思いを広げていくというアプローチをとりました。その後も毎年この取り組みを続けることで、社員が積極的に発言する会議が増え、耳の痛い情報も迅速に報告される風土に変わったと伺っています」
最後に上山がまとめを述べて講演を締めくくりました。
- JTB 上山
- 「人的資本の情報開示では、定量情報を数値化するとともに、『定性情報=取組み』を公開することが重要。そのうえで目的を見据えたレポート作成が必要です。また、EVP経営の実践では、エンゲージメントを高めるために、エクスペリエンスを高めることが重要。EVP経営実践のポイントは、まず現状の可視化を行い、それを踏まえた「具体的施策・取組み」を実施することです。
JTBが目指すゴールはEVP経営です。皆さまの会社でも、感動体験によって社員と企業の共感を創造してください。本日はありがとうございました」
まとめ
JTBが目指している「EVP経営」について、ご理解いただけましたでしょうか。EVP(Employee Value Proposition)とは、「従業員が実感できる、その企業で働く価値」のことで、EVPに軸足をおいた経営の在り方(EVP経営)は、人的資本を向上させます。働き方改革や、COVID19の影響で、ニューノーマルと呼ばれる時代に突入した今日、皆さまの会社でも、EVP経営について考え、実践されてみてはいかがでしょうか。