現代のビジネス環境において、企業を成長させる鍵は「人」にあります。人的資本開示は、もはや単なる「義務」ではありません。 企業が持つ「人材」の価値を最大限に引き出し、持続的な成長を実現するための戦略的な「機会」そのものとなり得ます。
本記事では、この重要な機会を最大限に活かすべく、人的資本開示の基本概念(定義)から、なぜ今それが求められているのかという背景、国際的なガイドライン(ISO)、そして他社の具体的な取り組み事例(実践)まで、企業成長を加速させるためのヒントを網羅的にお届けします。読み終えた後には、人的資本開示を戦略的に活用し、持続的な成長を実現するための具体的なヒントや道筋が見えてくるはずです。
最後に、キャリア・デベロップメント領域を取り上げた施策例の資料を紹介します。ぜひ、自社の人的資本経営推進にお役立てください。

人的資本開示とは?定義と求められる背景を理解する
まず、人的資本開示が何を意味し、なぜこれほどまでに注目されているのか、その基本的な概念と背景を深く掘り下げていきます。単なるトレンドとしてではなく、企業経営の中核をなす重要な要素として捉えることが、持続的な成長への第一歩となります。
人的資本の定義と、人材を「資本」として捉えることの重要性
「人的資本」とは、従業員が持つ知識、スキル、経験、能力、創造性といった、企業にとって価値を生み出す源泉となる無形資産の総体を指します。これを「資本」として捉えるということは、人材を単なるコストではなく、未来への投資対象と見なし、その価値を最大限に引き出す経営戦略を意味します。
人的資本経営は、単に「人」を大切にするという精神論に留まらず、従業員一人ひとりが持つ潜在能力を最大限に引き出し、新たな価値創造へと繋げる戦略的な経営手法です。例えば、適切な研修やキャリアパスの提供は、従業員のスキルアップとモチベーション向上を促し、結果としてイノベーションの加速、顧客満足度の向上、そして持続的な企業成長に直結します。
経営層にとっては、これらの人的資本への投資が、最終的に企業の競争力強化、生産性向上、ひいては株価や企業価値の向上にどう貢献するかを明確にすることが、意思決定を促す上で不可欠です。
企業は、従業員が「この会社で働く価値」を実感できるEVP(Employee Value Proposition)の明確化や、エンゲージメントを高める施策を通じて、人的資本経営を本質的に強化し、企業文化として定着させていくことが求められます。これにより、従業員の定着率向上や採用競争力の強化にも繋がります。
なぜ今、人的資本開示が注目されるのか?その背景を読み解く
人的資本開示が急速に重要性を増している背景には、国内外の複数の要因が複雑に絡み合っています。これらを理解することは、企業が取るべき戦略を策定する上で不可欠です。
1.投資家からの要求と企業価値向上への期待
近年、投資家は企業の財務情報だけでなく、非財務情報、特に人的資本に関する情報を重視する傾向が強まっています。企業の持続的な成長には、優秀な人材の確保、育成、定着が不可欠であるという認識が広がっているためです。投資家は、人的資本への投資やその管理状況を通じて、企業の将来性や競争力、レジリエンス(回復力)を評価しようとしています。
このような変化に対応するため、企業は、開示データだけでは伝えきれない、企業文化や従業員のエンゲージメントといった「見えない人的資本」の価値を可視化し、投資家への説得力を高めるアプローチを強化する必要があります。
人的資本開示が単なる情報公開ではなく、投資家との対話を通じた企業価値向上、ひいては資金調達力の強化に直結する戦略的なツールであることを、経営層へ認識を促すことが重要です。
2.ESG投資やSDGsへの関心の高まり
環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の要素を考慮したESG投資が世界の潮流となる中で、人的資本は「S(社会)」の重要な構成要素として位置づけられています。また、国連が提唱するSDGs(持続可能な開発目標)においても、「働きがいも経済成長も」「質の高い教育をみんなに」といった目標達成には、企業の人的資本への取り組みが不可欠です。
例えば、企業が提供する従業員のスキルアップやキャリア開発を支援する研修、多様な人材の活躍を促進する取り組み、健康増進や働きがい向上を目的としたウェルビーイング施策、地域社会への貢献活動などは、SDGs達成への貢献を示す具体的な開示項目となり得ます。その具体例として、研修投資額、女性管理職比率、有給休暇取得率、地域ボランティア活動時間といった情報が挙げられます。これらを戦略的に企画・実行することが重要です。
3.人材マネジメントの目的の変化
従来の「人件費」としてコストと見なされがちだった人材は、今や企業価値創造の源泉である「人的資本」として、その価値を最大限に引き出すための戦略的な投資対象へと位置づけが変わってきています。終身雇用制度の変容や労働市場の流動化も相まって、企業は従業員のエンゲージメント向上、リスキリングやアップスキリングの推進、多様な働き方への対応などを通じて、競争力を維持・強化する必要があります。
企業は、EVPを明確にし、人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すための具体的な戦略策定と実行をサポートする体制を整える必要があります。これにより、従業員のエンゲージメントを最大化し、定着率向上にも貢献します。この変化への対応を怠ると、優秀な人材の流出、採用競争力の低下といったリスクに直面し、中長期的な競争優位性を失う可能性があります。人的資本への戦略的投資が、企業の持続的な成長とリスク回避に不可欠であることを理解する必要があります。
4.経済産業省によるレポートの公表
日本国内においても、経済産業省が「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する一考察」(通称:人材版伊藤レポート)や「人的資本経営の実現に向けた検討会」の議論を通じて、人的資本経営の重要性を強く提唱しています。これらのレポートは、企業が人的資本に関する情報を開示することの意義や、具体的な取り組みを促進するための指針を示しており、国内企業における人的資本開示の動きを加速させています。
経済産業省が提唱する人的資本経営の実現に向け、企業は、自社が直面する具体的な課題に対し、実践的なソリューションで伴走し、独自の強みを活かした人的資本戦略の策定から実行までをトータルで支援する体制を構築することが求められます。『人材版伊藤レポート』では、「3つの視点」と「5つの共通要素」が示されており、これらを自社にどう落とし込むかが重要です。
3つの視点
- 経営戦略と人材戦略を連動させる
- As Is - To Beギャップを把握する
- 企業文化への定着
5つの共通要素
- 動的な人材ポートフォリオ
- 知・経験のダイバーシティ&インクルージョン
- リスキリング
- 従業員エンゲージメント
- 時間や場所にとらわれない働き方

国際的な人的資本開示のガイドライン:ISO30414の活用
人的資本開示の実践にあたり、国際的な標準となるガイドラインの理解は不可欠です。中でも「ISO30414」は、企業が人的資本に関する情報をどのように測定し、開示すべきかについての具体的な指針を提供しています。
ISO30414とは?その概要と企業への示唆
ISO30414は、国際標準化機構(ISO)が発行した「人的資源マネジメント-組織における人的資本報告のガイドライン」です。このガイドラインは、企業が人的資本に関する情報開示を行う際の共通の枠組みを提供し、投資家やその他のステークホルダーが企業の人的資本の状態を客観的に評価できるようにすることを目的としています。
この国際標準に準拠した開示は、国際的な比較可能性と信頼性を高め、グローバルな投資家からの評価向上に繋がるため、経営層にとっても重要な戦略的意義を持ちます。
具体的には、本ガイドラインは以下の11の領域にわたる合計49の指標を提示しており、企業がこれらの指標を活用することで、自社の人的資本の状態を多角的に把握し、戦略的な経営判断に役立てることができます。
ISO30414の主要項目と、戦略的な活用法
ISO30414の各項目は、単なるデータ開示に留まらず、自社の人的資本経営を診断し、改善サイクルを回すための羅針盤となります。企業はこれらの項目を戦略的に活用し、企業価値向上に繋げるための具体的な取り組みを進めましょう。
以下に、ISO30414の主要な領域と、それぞれの項目への実践に役立つポイントをご紹介します。
- 倫理・コンプライアンス
- 企業の法令遵守や倫理規範の徹底度合いを示します。従業員の行動規範研修や通報制度の運用状況などを開示し、ガバナンスの健全性をアピールします。この領域は、企業のレピュテーションリスク管理に直結し、不祥事による企業価値毀損を防ぐ上で極めて重要であり、経営層にとっても優先度の高い課題です。
- コスト
- 従業員一人当たりの人件費、採用コスト、研修コストなどを測定し、人的資本への投資効率を分析します。これらのコストを単なる費用ではなく「投資」として捉え、そのROI(投資対効果)を経営層に定期的に報告することで、戦略的な人材投資の意思決定を促すことが重要です。
- ダイバーシティ
- 経営層や社員の多様性は、企業のイノベーションとレジリエンスを測る重要な指標です。年齢、性別、国籍、障がいの有無など、多様な属性の従業員比率や、多様な人材が活躍できるインクルーシブな企業文化を醸成するための研修プログラム、異文化理解を深めるコミュニケーション施策などを通じて、ダイバーシティ推進を図ることが有効です。
- リーダーシップ
- リーダー育成プログラムの実施状況や、従業員のリーダーシップ評価などを通じて、組織を牽引する力の現状と育成へのコミットメントを示します。
- 組織文化
- 従業員サーベイによる組織風土の測定、企業理念の浸透度などを開示し、エンゲージメントや生産性に影響を与える無形資産としての組織文化の状況を伝えます。
- 生産性
- 社員一人あたりの売上・利益、労働時間あたりの生産性などは、人的資本の効率性を示す重要指標です。従業員のモチベーションを最大化し、生産性向上に貢献するインセンティブ施策や、業務効率化を支援するITツールの導入などが考えられます。人的資本への投資が生産性向上にどう貢献したかを数値で示すことが、さらなる投資を引き出す鍵となります。
- 採用・離職
- 採用実績、離職率、平均勤続年数などを開示し、人材の定着率や採用競争力を示します。高い離職率は採用コスト増やノウハウ流出に繋がり、企業の競争力を低下させます。これらの指標を改善し、優秀な人材の確保と定着を図ることは、経営戦略上極めて重要です。
- スキルと能力
- 従業員の保有資格、スキルレベル、リスキリングやアップスキリングへの投資状況などを測定し、組織全体のスキル向上への取り組みを伝えます。効果的なラーニングプログラムの設計・運用、国内外での視察や研修機会の提供を通じて、従業員の能力開発をサポートすることは、企業競争力の源泉となります。
- 福利厚生
- 従業員への福利厚生プログラムの提供状況や利用率、健康経営への取り組みなどを開示し、従業員のウェルビーイング向上への貢献を示します。
- 労働安全衛生
- 労働災害発生率や健康診断受診率などを測定し、安全で健康的な職場環境の確保へのコミットメントを伝えます。
- エンゲージメント
- 従業員満足度やエンゲージメント調査の結果は、生産性向上と離職率低減に直結します。EVPを明確にするコンサルティングや、従業員の貢献を評価するインセンティブ制度は、エンゲージメントを向上させ、ポジティブな組織文化を育む上で強力なツールとなります。実際、エンゲージメントの高い組織は、生産性が高く、離職率が低いというデータが報告されています。
これらの項目を単なる開示義務として捉えるのではなく、自社の経営戦略と連動させ、人的資本の価値を最大化するための羅針盤として活用することが、ISO30414の真の価値と言えるでしょう。
人的資本開示を成功に導く実践的アプローチと事例
人的資本開示は、単なる情報公開にとどまらず、企業が競争力を高め、持続的な成長を実現するための重要な経営戦略ツールです。ここでは、開示を成功させるための普遍的なステップと、実際に成果を出している企業の事例から学びを深めます。
人的資本開示を成功に導くためのステップ
企業が人的資本開示を効果的に進め、経営戦略に統合するためには、以下のステップを踏むことが有効です。
- 目的の明確化と戦略の策定
- なぜ人的資本開示に取り組むのか、その目的(例:投資家へのアピール、ブランディング、社内エンゲージメント向上)を明確にします。目的達成のために、どのような人的資本戦略(例:ダイバーシティ推進、リスキリング、ウェルビーイング経営)を掲げるのかを策定します。
この段階で経営層との対話を通じて、人的資本戦略を経営戦略に統合することの重要性を共有し、コミットメントを得ることが成功の鍵です。経営層が納得する形で、人的資本投資の目的と期待される効果を明確に提示しましょう。 - 現状把握とデータ収集基盤の構築
- ISO30414などのガイドラインを参考に、開示すべき項目を特定し、現状のデータ収集状況を把握します。不足しているデータについては、収集方法や体制を整備します。この際、従業員サーベイや人事システムの活用が有効です。
- 指標の選定と目標設定
- 自社の人的資本戦略と関連性の高い、具体的なKPI(重要業績評価指標)を選定します。各KPIについて、現状値と達成したい目標値を設定します。目標は定量的かつ測定可能なものにすることが重要です。
- 施策の実行と推進
- 目標達成に向けた具体的な施策(例:研修プログラム、評価制度の見直し、EVPの強化)を実行します。施策の実行には、経営層のコミットメントと、各部門との連携が不可欠です。
- 効果測定と評価、改善
- 設定したKPIに基づき、施策の効果を定期的に測定・評価します。評価結果を踏まえ、施策や目標設定を見直し、改善サイクルを回していきます。測定結果を経営層に定期的に報告し、人的資本投資の進捗状況と投資対効果を明確にすることで、次なる投資の意思決定をスムーズにし、継続的な支援を引き出すことができます。
- 開示情報の作成と対話
- 収集したデータと施策の成果を、有価証券報告書や統合報告書、サステナビリティレポートなどで開示します。開示後も、投資家やステークホルダーとの対話を通じて、透明性と信頼性の向上に努めます。

他社事例から学ぶ:人的資本開示を起点とした企業価値向上への効果的なアプローチ
実際に人的資本開示を経営戦略に組み込み、企業価値向上に繋げている事例は、企業が実践を進める上で多くのヒントを与えてくれます。ここでは、3つの異なるアプローチをご紹介します。
企業事例01 多様性で競争力強化~ある保険会社のエンゲージメント向上戦略~
ある保険会社は、人的資本の情報開示の取り組みとして有価証券報告書に非財務情報を記載しています。記載されているのは、例えば、女性管理職比率や男性の育児休業取得率、従業員エンゲージメントスコアなどの情報です。顧客の多様なニーズに応え、サービス品質を高めるためには、多様な視点と高いモチベーションを持つ人材が不可欠であると考え、どのような人材でも活躍できる環境の実現と従業員エンゲージメントの強化を目的としています。
これらの取り組みの結果、同社は多様な顧客層からの支持を獲得し、新たな商品開発やサービス品質の向上に繋がり、最終的に企業業績の安定成長に貢献しています。
企業事例02 技術革新を乗り越える~製造業におけるリスキリングと人材開発の推進~
ある製造業の企業は、技術革新が加速する現代において、企業競争力を維持・向上させるために人的資本の情報開示を行っています。具体的には、有価証券報告書に従業員一人当たりの年間研修時間や研修費用、デジタル人材の比率、リスキリングプログラムの参加者数などを記載しています。これは、DX(デジタルトランスフォーメーション)の推進や新技術への対応が喫緊の課題と捉え、従業員の継続的な学習とスキルアップを通じて、企業の持続的成長を支えることを目的としています。
この戦略的な人材投資により、同社は技術変化への適応力を高め、新技術を活用した製品開発を加速。市場での競争優位性を確立し、売上拡大と利益率向上を実現しています。
企業事例03 従業員の健康が成長基盤~サービス業が実践するウェルビーイング施策~
あるサービス業の企業は、従業員の心身の健康が顧客満足度や企業収益に直結すると考え、人的資本の情報開示に取り組んでいます。例えば、有給休暇取得率、平均残業時間、ストレスチェックの受検率、健康診断受診率などの情報です。労働集約型のビジネスモデルにおいて、従業員一人ひとりのパフォーマンスを最大化し、離職率を低下させるため、従業員の健康状態を経営戦略の重要な要素と位置づけ、ウェルビーイングの向上を目指しています。
ウェルビーイング施策の推進により、従業員のエンゲージメント向上、離職率の低下、生産性の改善が見られ、結果として顧客満足度の向上と安定的な事業成長に繋がっています。
まとめ
これまでの解説を通じ、人的資本開示が単なる法的な「義務」ではなく、企業価値を高め、持続的な成長を加速させる戦略的な「機会」であることがご理解いただけたかと思います。この重要な機会を最大限に活かし、企業成長を加速させるためには、経営戦略と密接に連携した人的資本戦略の策定と推進が不可欠です。
具体的には、客観的なデータに基づき現状を可視化し、従業員エンゲージメントやウェルビーイング向上に継続的に取り組みながら、多様な人材が能力を最大限に発揮できる企業文化を醸成すること。そして、投資家をはじめとするステークホルダーとの透明性のある対話を深めていくこと。これら全体を包括する、一貫性のある取り組みこそが今、企業に強く求められています。
人的資本開示は、自社の「人材」の真の価値を社会に示し、未来の成長を確実にするための羅針盤となりますが、その実践には多岐にわたる専門知識と実行力が求められます。そこで、本記事で触れた『従業員エンゲージメント』というテーマにおいて、特に従業員と企業の成長を左右する『キャリア・デベロップメント』の施策例を資料で紹介します。ぜひ、貴社の課題解決にお役立ていただけましたら幸いです。
